森田 正馬(もりた まさたけ/もりた しょうま)(1874年1月18日-1938年4月12日)
1874年に日本の現在の高知県香美市で生まれ、小学校教師の父のもとで厳格な教育を受け、神経質な性格に育ち、学生時代には、動悸・神経衰弱の症状に悩まされるようになりました。
東京帝国大学在学中、両親から仕送りが届かず、薬も休養も取らずに猛勉強したところ、不思議と症状が消え去り、試験も優秀な成績で通過しました。この体験から、「症状と闘うのではなく、そのまま受け入れてやるべきことをやる」という洞察を得ました。
1902年に卒業後、精神科医として勤めながら、自身の体験を基にした「森田療法」を1920年前後に確立しました。
1903年、東京慈恵会医院医学専門学校(現・東京慈恵会医科大学)の教授に就任。以後、亡くなる1年前まで約35年間にわたり、同校で教鞭を執りました。
1919年(大正8年)、自宅を開放して神経症患者の治療を開始し、ここから森田療法の原型が形作られていきました。
1920年代初頭には、神経症の治療体系として「森田療法」を確立。これは、患者のとらわれや症状への過剰な注意を断ち切り、本来持つ自然治癒力を促すことを重視した画期的な療法でした。
1924年、重要な著作である『神経質ノ本態及療法』を発表し、医学博士の学位を取得しました。この著作で、彼の神経質理論と治療法が体系的にまとめられました。
森田療法の理論は、「精神交互作用」や「生の欲望」といった独自の概念で説明され、フロイトの精神分析とも異なる、日本発の心理療法として後に世界的にも注目されるようになりました。
1938年に肺炎のため64歳で亡くなるまで、神経症治療に尽力しました。
森田正馬の名前の読み方
森田正馬博士の名前の読みですが、「まさたけ」と「しょうま」の両方が使われています。「まさたけ」が本来の読み方のようですが、本人公認で、「しょうま」という読み方も使っていたということで、当時は、このように複数の読み方を使用することが良くあることだったようです。
海外には、「しょうま」(Shoma Morita)で定着しているようです。