鈴木知準氏の著作「神経症はこんな風に全治する」(誠信書房, 1986.3)から、入院治療を受け、その後も森田療法の生活を数年続けて全治した、強迫症患者の体験談を引用させてもらいたいと思います。
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〔第二例〕 強度の強迫行為の徐々に全治した例
これは、一番治癒困難な強度の強迫行為の全治した例である。強度の強迫行為の治療は、全く骨の折れるものである。しかも、この例は全治していて、その跡もとどめていない全治である。しかし、相当の期間を要するのである。もちろん徐々に行きつもどりつしつつ全治していく。急速の心の展開は、きわめて少ないと思われる。
診断 強度の強迫行為
初診 昭和五十四年十月
発病年齡 十五歳頃
入院時年齢 三十一歲
職業 入院時会社員
強迫行為の治癒体験
竹山重明 三十七歲
退院時先生が『退院して実生活に戻ったら、一目散に走り抜けるように」といわれた。そのような生活態度に自然になり切っているので自分が神経質を超えた、とかノイローゼが治ったとかさえ全く考えなくなって、少なくとも三年は経っている。
私が強度の強迫行為になったのは五十三年(三十一歳)の中旬である。それまでの私は自分が神経質であるという意識がなかった。ただ少年期の十五歳の頃から、登校や外出する際、火の元や戸締りの確認に大層手間どり、何度も確認しても気に掛かり毎回苦しみながら一時間余りもそんなことを繰り返し、遅刻が度重なったこと、その他、梅毒恐怖や尖端恐怖などがあったことを思い出すが、それも少年期の故、まさか自分が神経質だのノイローゼだのと自覚したことはなかった。その後、大学卒業の後、上京し就職した折にも、外からの電話の応待時、必ずはげしい吐き気がし、充分な会話が出来ず、その結果、喉の手術まで行なったことがあったが、これも今考えればノイローゼであった。
五十三年の夏頃、週刊誌に記載されたある薬の副作用の記事を読んでから、その薬を常用していた私は不安にさいなまれ、幾人もの医師を訪れ説明を受けた。しかしいくら説明を受けても重箱の隅をつつく様な小さな不安が次第に大きくふくらみ一向によくならず、徐々に仕事も手につかなくなっていった。
五十三年暮には自分はノイローゼであると自覚、A大学病院の神経科の門をたたき週一回のカウンセリングを受け翌五十四年、四月には入院も行なったが軽快どころかここの治療では全く歯がたたなかった。それどころか、投薬のみの治療法ではよくならないと感じて退院した。その後も、発病直後から始まった不潔恐怖による手洗いも日増しにひどくなり、一日中手を洗い続けた。石鹸で洗うため冬には手が大きく腫れあがり、それにひびが入り血だらけとなっても止められなかった。さらに不眠、両足による極度の貧乏ゆすりなどが加わり、全くもって気違い沙汰となり職場も休職して強迫行為に明け暮れるようになった。五十四年の十月には、環境が変わると良いとの妻の助言で山奥の禅寺にも行ったが、和尚から「気違いの一歩手前では」とサジを投げられる始末であった。
丁度その頃、鈴木先生の著書を読み、ワラにもすがる気持ちで面接を受け、十一月下旬に入院することとなった。入院に際し事前に著書を読み森田療法の予備知識を得るよう指示を受けたが、新聞も読めぬ状態であったので、とても先生の著書といえどもよく読める訳がなく、予備知識のないままの入院となった。
十日余りの臥褥中、睡眠薬を飲んでも眠れなかった自分が嘘のようによく眠った。強迫行為も寝ているだけであるから、さほどでない。さすがは森田療法、もう治り始めているとその時感じた。臥褥が終りいよいよ作業療法となる。外は寒風、活き活きとした若者と一緒に何をして良いか分からぬなりに、三十男がおどおどして落ち葉拾いに手をつける。その自分の憐れな姿に、何で自分がこんな病気に、今ごろ家族は、などと思うたびに人知れず涙ぐんだ。
日を追うにつれ、ここの療法の骨子や、神経質に生きる態度を身につけるには、時間がかかること等がおぼろげながらわかり始めたが、同時に強迫行為もまた、以前に増して強まって行った。この頃など、ロクに作業もせず手ばかり洗って袖口がぐっしょり濡れ、作業日誌のペン文字が一面ににじんで読みとれないなどのこともあった。
その後入院一○○日を過ぎても、何も変わらなかった。年も年ゆえ、環境にもなかなか溶けこめなかった。先生の日誌指導で「強迫行為をしそうになっても、す早く次の仕事にすっと移っていくこと」と助言があるが「自分で止められるくらいならこんな所には来ないさ」という気持ちで開き直り、何度も森田療法を疑った。しかし他所に自分を治療してくれる所のないこともわかっており、何とか治りたいの一心で落ち葉を拾い、薪作り等を一生懸命やったが一向に良くならない。このままでは一生廃人、と悲惨な気持ちにいつも揺れ動いていた。
ちょうどその頃を境にしてであるが、何とも説明がつかぬが、少しずつ次第に意志の力で強迫行為を減らすことができるようになってきた。勿論、ほんのわずかであり、二歩前進一歩後退の状態であった。しかしその頃から次第にほんの一筋の明るさを取り戻しつつあることも自覚するようになった。同時にこの頃、ノイローゼの落し穴のからくりについても多少分かってきたような気がした。神経質な自分が不安をとる為に強迫行為をやっていること、強迫行為はまるで山手線のように走り出したら円周を描き果てしないことなどが・・・・・・。
そんな状態が一、二ヵ月程続き、いわゆるバラ騒動が始まり、われわれの動きも否応なく活発さを要求され、時間刻みに突然先生にばらの作業を命ぜられ、また周囲の目を意識して強迫行為がやりづらくなってきた頃、先生との面接時、「妻君から申し出があり、二週間程先に、君たち夫妻が友人の結婚の仲人をすることになったらしい。行ってきなさい」とのご指示を受け非常にびっくりした。何故なら、それまでの私はやっと買い物当番に指名され院外へ出た途端、遮断の環境を破り、家へ電話をしたことなどが先生にバレて、当番をはずされたりしているいわば札付の劣等生であり、強迫行為も相変らずである。それなのに、と疑念はつのるばかり。それに仲人などとてもやり遂げる自信もなかった。しかし先生の指示には従わざるを得ない。早速、空き時間を見つけてはスピーチの練習にはげみ当日を迎えた。不安ではあったが、結果は思った以上に、というよりかつての自分に戻ったように、堂々とやれた。
この自信が作用したのか、その後も次第次第に強迫行為の数は減っていき、同僚の院生からもよくその点を指摘されるようになった。しかしまだ日常生活がまともにできる状態ではない。
そして六月、入院後、二百十有余日にして退院となった。そのとき、先生のおっしゃられたことは「完全ではないが、社会人としてこれ以上、仕事や家庭を空けることもできないでしょう。強迫行為をやりたいと思ってもやらずに一目散に走り抜けなさい」ということであった。
全く自信はなかった。そのときにも強迫行為は残っていた。しかし、この頃の先生の言葉は同じ言葉でも抵抗なく心にしみ入った。だから一たんやってしまえばしまいだ。絶対やるまい、とかなり気負いながら元の生活に戻った。当初、何度も崩れそうになり、苦しかったが、二年近い社会人としての空白は大きく、とても甘えてはおられず仕事に邁進せざるを得なかった。そうするうち全くやらずに済むようになった。そしてその頃までは、強迫行為が止められるようになったのはあくまで自分の意志の力が主だ、と思っていた。その間が退院後半年前後であった。
その後になって初めて、自分が止められるようになったのは、実は先生の日常生活の指導、打ち込み、講話等々、つまりあの環境そのもののお陰である、あの先生と環境がなければ自分の意志力も生まれてはこなかった、ということがわかり始め自分の不明を大いに恥じ入った次第である。そしてそれからは薄紙をはぐ如く、気がついたときには、自分の意志と強迫行為は無関係の状態となって今に至っている。
ただし付言すれば、地獄の苦しみをしたあの頃の強迫観念、これは今でも同じように湧く。汚いもの、不潔なもの、恐いものは以前と同じく感ずる。そのままで仕事をし、生活をして行くことでそのまま通り過ぎてしまうことになり、そして先生の言われた退院後は一目散に走り抜けていくことが行なわれるようになり、それだけで生活が流れていく。そしてこの頃は全く手を洗う必要はなくなってしまった。それまでに入院してから三、四年を要している。やはり年月がかかった。
最後に、結局私はノイローゼによる長期休職、というより職場のノイローゼに対する無理解により退院後一年半で職を辞し、一から出直しのつもりで食堂経営を手がけ、今日ではチェーン化するに至りました。今では、自分が悪戦苦闘した経験を社員人材の養成に活用、教育等に大いに活かしている。というより他に対するものよりむしろ、自分がノイローゼに陥ったことが、自分の弱さや欠点、あわせて長所をも含めた自分自身を見直す良い体験であったとさえ思っている。ここまでこれたのも偏に、鈴木先生のお陰であり、ひいては悪戦苦闘の戦果と、心より感謝の念を深くしています。
今後は、さらに走り抜けの速度をゆるめず、事業の安定を計り、しかるのち、高度に複雑化した文明社会の現代病となったノイローゼの患者諸兄を救う一助たり得るよう精進する所存であります。(六〇・一二)
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この本も10年以上、読んでいませんでしたが、この体験談を読むと、本人の苦労が分かり、涙が出てきました。不安と症状のため、日常生活が崩壊し、禅寺などに行っても断られてしまします。
鈴木氏の入院治療を始めて、100日たっても、手洗いの強迫行為がやまなかったとのことから、非常に強い不安および、不安を解消するための強迫行為の悪循環に強く囚われていて、重症の精神疾患・神経症だったことが分かります。
それにもかかわらず、210日程度の入院、そして、3,4年を経て、症状がすっかりなくなり、さらに自分で食堂経営、チェーン化を果たすなど、ビジネスでも成功・活躍するなど、素晴らしい回復を成し遂げ、その本人の努力、粘りに頭が下がります。
そして、このような患者の長期に渡る治療、回復を実現、支えた森田療法および、鈴木知準医師に対しては、尊敬の念で一杯です。
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