ホーナイと森田理論の共通点について

consideration

ホーナイの「神経症と人間的成長」に著述された理論と、森田正馬博士の著作の内容を比較すると、ホーナイの方は、精神分析学、心理学の観点から、不安障害、神経症の原因、構成などを詳細に明らかにしているのに対し、森田博士の著作では、個人的には、入院および通信治療での指導、問答、人生・生活哲学などに一番価値、輝きがあるように感じます。 これらを図に表すと以下のようだと考えました。

目立つものとしては、ホーナイの述べている「べきの専制」は、森田博士の述べている「かくあるべし」とほとんど同じ概念ですね。

ホーナイは、人間は環境の中で強い不安(基本的不安)を抱くようになると、その不安から逃れるために、「理想化された自己像(Idealized Self-Image)」を幻想の姿を作り上げます。

この理想の自分に、現実の自分を無理やり近づけようとする命令系統が「べきの専制」です。

「私は誰に対しても寛大であるべきだ」

「私は常に冷静で、傷ついたり怒ったりすべきではない」

「私はどんな仕事も完璧にこなせなければならない」

この要求は、本人の限界や現実の状況、人間としての自然な感情を無視して、内面から君臨するため、ホーナイはこれを「専制」と呼びました。

森田博士は、対人恐怖や強迫観念、不安神経症(森田療法では「神経質」と呼びます)に悩む人々は、頭の中に強い「理想の型」を持っていると分析しました。

  • 「人前では常に堂々としていなければならない」
  • 「不安や恐怖を感じてはならない」
  • 「いつも完璧に仕事をこなさなければならない」
  • 「病気になってはならない、健康でなければならない」

このように、自分の感情や現実の状況を無視して、頭の中の「~すべき(かくあるべし)」に自分を無理やり当てはめようとすることを指します。

他には、森田博士が提唱した「思想の矛盾」があります。これには、「かくあるべし」の思想とそれに基づく神経症者の行動の結果の矛盾という意味があります。

例えば、不潔恐怖症の人は、汚いものに触るのが怖く、掃除などができなくなり、部屋などが、非常に不潔になってしまうことがあります。

また、赤面恐怖(対人恐怖)の人は、赤面や緊張を隠そうとする自己防衛のため、不自然に相手を睨みつけたり、不愛想で冷淡、社会的マナーや思いやりを欠いた「恥知らず」な態度をとってしまったりします。

「綺麗にこだわるあまり、逆に汚くしている」「恥をかかないようにして逆に失礼なことをしている」と、自分の理屈・思想がもたらしている現実の矛盾に気づくことが、治療の転換点となります。

ホーナイも「神経症と人間的成長」の「第4章 神経症的誇り」で、傷つきやすい神経症的誇りを持った、神経症者が、失敗しそうな状況を回避して、誇りを守ろうとする行動、傾向について、試みて失敗するよりは、試みない方が安全だという原理である。回避は、どんな困難が起ころうと、それを徐々に克服していこうとする機会を人々から奪ってしまうから、この処世訓は、その人にそれでもうおしまいであるという烙印を押すようなものであって、神経症者の前提からすれば考えられないことでさえある。なぜなら、彼は生活を極度に制限するという犠牲を払わなければならないうえに、退却するということは、長い目で見れば、彼の誇りをいっそう傷つけることになるからである。と述べています。 神経症的誇りを守るための回避の行動は、かえって卑屈な状況を招いてしまうということて、森田博士の「思想の矛盾」に似ているのでは、ないでしょうか?

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