私自身は、森田療法の入院治療を受けたことはありませんが、鈴木知準氏の著作から、入院治療を受けた患者の体験談を引用させてもらいたいと思います。
森田療法の症状等を持ったまま、日常生活の必要な行動に入っていくことを数年間続けることにより、症状および、日常生活の質が向上していくことが述べられています。
************************************************
「ノイローゼの積極的解決」(誠信書房, 1980.4)より
昭和五十四年記述、診断関係妄想性対人恐怖、入院昭和五十一年、入院時年令十九歳、発病年令十三 歳、大学学生、遺伝的に父が神経質の傾向を有する。
現在二十二歲、法政大学の学生です。私は昭和五十一年三月十九歳から四ヵ月間、鈴木知準先生 の下で入院森田療法をうけたもので、退院してから三年余になる。主症状は対人恐怖症です。 私の父も神経質であり、私も幼い頃から神経質で、小心、取越苦労、しかし負けず嫌いでありました。
中学二年十三歳の頃、突然他人と視線が合うことに対して苦痛を感じるようになり、それが次第 に自分が感じるのと同じ苦痛を確かに相手にも与えていると思い、そしてそれに対する相手の態度 も感じ、その加害意識にも苦しむようになりました。ですから人と話をしていて相手が視線をそら すのは、自分が相手に与えている苦痛から避けるためだと確かに思っていました。このような状 態が続き高校二年十七歳の頃、今度はふとしたことで隣の席に座っている人が気になり、それが苦 痛となりました。この時以来絶えず横が気になり、これもまた自分が感じるのと同じ苦痛を確かに 相手にも与えている、与えているというより乗り移っているという加害意識にも苦悩しました。例 えば、隣の席に座っている人が顔をそらしたり、背伸びをするのは、自分が感じるのと同じ苦痛を 相手に与えたことにより、相手がその与えられた苦痛のため疲労を感じたからだと確かに思っていました。そのために授業中などは、顔を上げて黒板を見ることができず、人込みの中ではうつむき、時としてはいたたまれず目をつぶってしまい、全く身の置き所がないといった状態でした。ですから人と接することが非常に苦痛でありました。そして人と会うことも、学校で授業をうけることも不可能になりました。そこで十七歳の時に、催眠術療法をうけてみました。これは医師の資格 を持っていない人でありました。八回ほど催眠術をうけましたが、一回もかかりませんでした。こ の催眠術療法は、全く症状の解決に役立ちませんでした。その後、東山大学の精神神経科で診察をうけました。そこで自分の症状を訴えたところ「このような状態は誰にでもあることであり、自分 で治す以外方法はない。あまり気にすることはない」とだいたいこのようなことを短い時間言われ、薬のみ持たされて帰されました。自分ではどうすることもできないので診察をうけに来たとい うのに。自分では気にすまいと思っても気になってどうしようもないので訪問したのに「あまり気 にするな」と言われ、全く病気として扱ってもらえず、非常にがっかりして病院を出たことを覚え ています。
このような状態の時に幸運にも鈴木知準先生の著書、白揚社発行の『一つの生き方』に出会い、 高校を卒業と同時に入院致しました。これは昭和五十一年十九歳の時でありました。自分ではこれ で救われるという気持と、半信疑という気持がありました。入院中の生活は、入院規則通りにやりました。
七時起床、八時朝食、十二時半昼食、五時夕食、ラジオ体操、静坐、日誌記入、百人一首のかる た取り等をし、十時就寝です。ここでの生活は、これらの一連の流れの中で、その時、その時に必 要なことをして行きます。その一つとして、いろいろな当番があります。この当番は、鈴木先生が 直接に決められます。掃除、炊事、買い物、風呂焚き、犬や小鳥の世話、花の手入れ、洗濯物の取り込み、トイレ掃除等たくさんあります。これらの当番、あるいは他の作業は、嫌だとかめんどうだという感情があっても、一応そういう感情を持ったまま、とにかく決められたものだから仕方なくやって行くという性質のものです。ですから隣りで作業をしている人が気になり不安と感じて も、不安で不安で仕方がないと感じながらも、とにかく目前のことだけをやって行きました。
ここでこの当番のお話をしたいと思います。まず炊事当番なのでありますが、鈴木診療所には、 大きな炊事場があります。そしてここで入院生も、朝、昼、晩と食事の手伝いをします。炊事の職 員が三人いますが。食事の時間が一応決まっていますので、その時間までに準備を終えなければな りません。多人数の食事の準備なのでぼんやりしてはいられません。次に必要な事は何かと常に考 えながら行なわないと段取りが悪くなり、時間ばかりかかってしまいます。この当番は全く忙しいままに行なわれます。
また、風呂焚き当番は、ただ木を燃やしていればいいというものではないのです。湯かげんや煙 の具合などを考慮しながら行なうのです。ぼんやりしていて濃い煙を出そうものなら、たちまち鈴 木先生の大声の注意が飛んできます。濃い煙は隣りの家に迷惑がかかるので出してはいけないので す。こうなると風呂焚きなどといってもぼんやりできません。一本木を燃やしては煙突から出る煙 の様子をうかがいます。どのような火の状態の時に新しく木を燃やせばよいか、空気孔の調節はどの程度にすればよいか、またお湯の温度は熱過ぎずぬる過ぎず、常に一定に保たねばなりません。 ぬるいと言われれば早く熱くしなければなりません。だからといって一度にたくさんの木を燃やすと濃い煙がどんどん出ます。濃い煙を出さずにできるだけたくさんの木を燃やすために、空気孔をいっぱいまで開け、うちわであおぎながら風を送り、火の勢いを増しながら木を燃やさなければなりません。このような状態の時に、人が側にいて不安を感じても、その不安をなくそうとするすき がありませんでした。
また洗濯物の取り込み当番は、午前十時と午後四時に屋上の鍵を開けに行きます。うっかりして 時間を忘れると、洗濯物を干す時間が短くなったり、取り込む時間が遅くなることによって、せっ かく乾いた物が湿ったりもします。また突然雨でも降り出せば屋上まで飛んで行き、干してあるも のを中に入れます。当番の日には、どこでどのような作業をしていようが、絶えず時間と天候に注 意を払いました。
それから、春と秋はばらの手入れで大忙しです。鈴木知準診療所では病院の他に、三百坪のばら 聞があります。このばらの花を雨や風から守るのに、ばら騒動になります。この中に身をおき、一 日中ばらのことで追われます。
また、花菖蒲が花をつけている頃も大変です。あの細長い茎で大きな花を支えているのですか ら、風の当たる所は避けなければなりません。風の動きに対して夜といえども注意が必要なので す。風が吹いてくれば大急ぎで風の当たらない所へと動かします。それから練炭の火おこしは練炭 の上に新聞紙をのせ、その上に消し炭をのせてうちわであおぎながら行ないます。この消し炭の量 は多く用いれば練炭に火がつきやすいのですが、それではむだがでます。かといって少な過ぎると、なかなか練炭に火がつきません。適量で用いるのです。うちわで風を送りながら行なうので、 どうしても灰が宙に舞います。その灰が体にかからないように、体の位置やあおぎ方を変えながら 行ないます。これらの状態の時には、不安と感じてもその不安と戦っているすきがなかったので す。その不安に逆らうすきがなかったのです。不安を「あるがままにうけ入れろ」などと自分に言い聞かせるすきがなかったのです。そこには不安であるとか安心であるということを問題としない 態度がありました。不安に対していちいち安心を求める必要のない状態があったのです。また、お 話しましたように入院中は、あらゆる事に絶えず注意を払っていなければならない状態に置かれて いました。この環境の中では、一つの事を終えても絶えず次の事が待っています。そして雨が降り 出せば洗濯物を取り込むといったように、突然にやってくるものもあります。全く不安定な環境の 中に置かれていました。しかしこの不安定な中でも安定しているのか楽しみのあることを経験して してきました。全ての事に対して常に、安心を得なければ次の事になかなか進むことができなかった私 にとって、貴重な経験でありました。このような状態を通って言葉の知的理解によってではなく、 自分の心の経験として不安を感じながらも必要のことをやって行くという態度を知ったのです。
鈴木知準先生の診療所の環境は、このような態度を経験することができるように条件が十分に整 っているのです。先生はそのような身をつくるという言葉を用いています。入院したての頃はとにかくこれをやれば治るだろう、あれをやれば治るだろうという具合に、治そう治そうとして作業を行なっていました。しかし次第に入院日数が増すにつれ、診療所の環境に対し、自分が働きかけなければならない立場へと自然に追いやられてきました。鈴木診療所の環境はこのようになっているのです。このような状態になってきますと、その環境の中で必要な事が見えてきて、それが自然に行なわれるようになったのです。そして嫌だめんどうだという感情が起きても、あるいは不安と感じても、その時に必要な事をふっとなしていく状態へと自然に心は前進してゆきます。このように診療所の入院環境からもようされて、即ち自分の考えや、意思の力を離れた所から前進させられるので、力むこともなく自然にその時に必要な事が行なわれて行きました。全くその環境から作用されてくるのです。これを通って不安症状があっても必要なことができていくという態度の基礎がつくられて行くのではないかと思います。
約四ヵ月間の入院生活の後、退院しました。退院後も、調子が良くても悪くても一ヵ月に一回、土曜日の午後から日曜日の午後まで追体験という形で鈴木知準先生のもとに通いました。しかししばらくは不安になると心の中で「そのまま」などという言葉を唱え、その不安をなくそうとしていました。いくらそのようなことをしても不安はなくならず、かえって不安と戦ってしまいました。 入院する前とは比較にならないほど少しではありますが、まだ多少の精神葛藤がありました。
そして先程お話致しました追体験という形で鈴木先生のもとに一ヵ月に一回通い続けているうちに、一年位後には不安に対して安心を求めるための自分に言い聞かせる言葉がなくなり、二ヵ年後の現在では不安であるからなんとかしよう、安心であるからいいのだなどという気持ちが起きない のです。起こさないようにしようとしているのではなく起きないのです。ですから、以前のような 精神葛藤は全くなくなりました。これらの所を通り知ったことは、「あるがまま」という言葉の知 的理解だけでは、「あるがまま」という言葉で表わされる心の態度になることはできないということがわかりました。また、「あるがまま」などの言葉の知的理解で心の安定を得ようとすること は、森田先生の言っている「かくあるべし」ということと同じことになってしまうのです。ここの 所が現在神経質にとらわれている人達には、なかなかわかり難い所と思います。自分がそのような 心の態度になってはじめてぴったりとわかるものと思います。それから、心の安定というものは自 分の意志の力で得るものではなく、現在をただやる生活態度のうちに自然とやってくるもの、自分 の意志とは関係なく勝手にやってくるものです。
現在では、例えば隣りに人が座っているということに対して不安を感じる瞬間はあるのです。し かしその不安に対して、それをなくそうとしているわけでもないですし、あるいはこのような不安 はあってもいいと自分に言い聞かせているわけでもないのです。これらの不安はただ不安、不安以 外の何ものでもない不安といった感じのものです。不安に対して戦うことがないので、すぐなくなってしまうのでしょう、どうなっているのか考えてもみないのです。入院前は他人の目が気になって仕方がない、他人に確かに嫌な感じを与えているという意識が、四六時中頭にこびりついて離れませんでした。しかし現在では、かつてこのようなことに悩んでいたということすらも忘れてしま っているというのが本当です。そして大いにがんばって勉強しています。
私は鈴木知章先生にめぐり会い、遮断の入院治療をうけたればこそ短時日に現在の状態になり得 たことを、非常に運が良かったと思っております。現在それが心臓や胃腸の不安でも、勉強不能で 、対人恐怖でも、それと悪戦苦闘している人は、是非短くともよいから試みに入院治療をうける ことを勧めるものです。
…
************************************************
この方は、四ヵ月間の入院生活の後、二年後には、全治と言えるほどに、症状が改善しています。それでも、ここまで来るには、入院生活も合わせると二年四カ月といった、期間が必要で、その間は、症状を持ったまま放置して、必要な日常の活動に入っていくことを継続していました。
↓以下のランキングサイトバナーのクリックをお願いします。

コメント