大学時代の思い出6

karen-horney

こうして、大学で学業から落ちこぼれて留年し(親のすねをかじっていました)、ますます孤独になっていきました。

そんな時、ある晩、アパートの部屋で一人横になっていると(布団に入っていたのかもしれません)、不安と孤独がもの凄く強くなってきました。

そのうち、その不安が今まで経験したことがないほどのひどさになってきて、心がバラバラになるような感覚を覚えました。

そのとき、自分は心がバラバラになって、当時の言葉で精神分裂病(今は統合失調症)になっていく瞬間なのかと恐怖しました。

幸運なことに、不安の症状、精神状態はそれ以上、ひどくならず、治まってきました。

症状が落ち着いたとき、少し安心すると同時に、非常に強い怒りが起きてきました。

怒りの内容は、「なんで俺がこんなに何年も、みじめでひどく苦しめられなければならないのか?!どうしてこんな苦しくつらい症状、気分等が何年も俺に起こるのか!」というものでした。

そして、「もしこれが神様の仕業なら、俺は絶対神様を許さない、神様をぶちのめしてやる!」などと考えたことを覚えています。

今、私はシニアと呼ばれる年齢になっているのですが、最近、色々将来等が不安になり、また孤独で、この時ほどではないですが、不安でたまらなくなることが、よくあります。

ホーナイの言うところの基本的不安(子ども時代の良くない精神環境で、子どもが抱く不安)の解消は、私の場合では、年齢を重ねても、容易ではありません。

カレン・ホーナイ 神経症と人間的成長  第1章 栄光の追求より引用:
“種々の恵まれない条件の下で育つ場合には、子どもは自分自身の欲求や可能性に即して成長することができないであろう。このような悪条件はあまりも多く、ここで、いちいち枚挙することはできないが、要約して言えば、結局、周囲の人々が自分の神経症に心を奪われるあまり、子どもを愛することも、子どもをその子どもなりの一人の人間として考えることもできなくなっている、ということである。このような人々が子どもに対してどのような態度をとるかは、彼ら自身の神経症的欲求や反応の仕方によって決まる。簡単に言えば、彼らの態度は、支配的、過保護的、威嚇的、いらいら、厳しすぎ、甘やかしすぎ、気分的、偏愛的、偽善的、無関心、などである。子どもの成長に悪い影響を与えるものは、ただ一つの要因ではなく、常に要因群全体の構造である。
 その一つの結果として、このような環境に育った子どもは、所属感、つまり、「われわれ」という感情を発達させることができずに、深い不安定感と漠然とした不安感を抱くようになる。これが、私が基本的不安という言葉で表わすところのものである。それは、自分に対して敵意を秘めていると思われる世界のなかで、自分は孤立し、無力であると思う感情である。“

大学時代後期のその夜の体験は、自分が発狂するのではないかと怖くなった忘れられない体験です。

神様、どうか私の残りの人生で、これと同じレベルまたは、それ以上の不安を体験させないでください。

どうか、私の不安を静めて、私が不安に打ち勝てるようにして下さい。

どうか、不安障害に悩む人たちが、不安に打ち勝てるように、我々の不安を静めて下さい。

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